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2013年04月04日
 今年3月になって、知り合いの小学生が、放射線の心配から転居しました。
 東日本大震災・原発事故から2年過ぎてからの自主避難です。
 津波被災地を除けば、被災前と変わらない風景なのですが、目に見えない放射性物質に汚染され、家があるのに帰れない。農地があるのに耕作できない。美味しい山菜が食べられない。家族がいるのに一緒に暮らせない。
 見える現実と、それに対する今までに考えたことのない「不安」という、見えない心の世界で苦悶している人が多くいます。

 (写真は沖縄)
2013年04月03日
 小野町立夏井おおすぎ保育園の入園式に、来賓として出席してきました、
 0歳児から5歳児までの、男児17人・女児11人の28人の児童の皆さん、保護者の皆さん、ご入園 誠におめでとうございます。
 楽しい園生活になりますように、お祈りしています。

 近年考えますことは、児童の皆さんの名前の事です。 漢字とかなで名簿があらわされていますので良いのですが、ほとんどの方の名前を読むことが出来ません。
 (職員の皆さんの名前は、かながなくとも、全員の方読むことが出来ます。)
 いろいろなところに、時代の流れを感じることが出来ますね!
2013年04月02日
 家には、神棚、仏壇があります。
 神棚には、お宮に天照大神・神社のお札が納められています。
 仏壇には、ご位牌がおいてあります。
 神は、神棚に。仏は、仏壇にいるのでしょうか?

 伊勢神宮のお札が入っているとすると、そのお札を通して、遥か五十鈴河畔の伊勢の  神宮をお参りしているそうです。
 毎日、墓地に行ってお参りできないために、ご位牌を家の仏壇において、お祈り・お願いをしているということです。

 神・仏は、神仏を信じ、お参りする、また、お祈りする自分の心の中にあるということです。
 親祖先途切れることなくバトンリレーされてきた自分の命、大切にしたいです。

 (写真は沖縄)
2013年04月01日
 私は、25年から前に、[橋本印房]を開業しました。
開店をしますと、心配をよそに思いのほかお客さんが来てくださり、順調なスタートをしました。
 その時に先輩から言われた言葉は、
 『橋本さん、こんなにお客さんが来てくださるのは、お父さんのおかげなんですよ!』
という言葉です。それも、一度二度でなく、五度から言われました。
 お客さんを接待し、仕事をしているのは自分で、父は店に来ていません。
 先輩の言葉に、生半可の返事をしていましたら、何度も同じ言葉を言われました。
 五度から言われますと、私も考えました。 精いっぱい努力して今があると思うが、自分の努力だけで今があるのではない。 自分の努力は、どれくらいのものであるのだろうか?自分は、高慢になっていないだろうか? 両親に祖先に、真に感謝しているのだろうか?こんな反省をしましたら、先輩は、同じことを言われなくなりました。
 今、時々、先輩の言葉を思い出します。

 (写真は沖縄)
2013年03月30日
 今では、数十年前のことになりますが、家庭内でのあいさつの大切さを学んだ時は、私の家では、「おはようございます。」のあいさつがありませんでした。
 隣の人には、抵抗なく挨拶をすることができるのですが、夫婦・親子間でなかなか挨拶をすることが出来ませんでした。
 
 顔を見て、『おはようございます。』
  顔の表情、声の響き、
 この瞬間に、今日は元気かな? なにか心配事はないかな?
 相手を思いやりたいものですね。

 (写真は、沖縄です。)
2013年03月29日
 写真は、童話「花さかじいさん」です。
 一昨年前のことですが、講演会を聴講しましたところ、講師の方が、いろいろなお話の中で、童話「花さかじいさん」の紙芝居をみせてくれました。
 大切なのは、動機・目的です。
 となりの いじのわるい よくばりじいさん に、なってはいないでしょうか?
  ・・・・ショック!・・・・
 童話「花さかじいさん」のお話は、良く知っていたわけですが、このように大切な教えが入っていたとは、大変な驚きです。
 思うことが思うようにいかない原因が、ここにあるんですね。
 物質の豊かさを求め、そのことに追われている自分。思うような結果が、なかなか出ないということは、もしかすると私は、となりの よくばりじいさん・・・
2013年03月28日
 世の中は、
  物質的に富み、そのうえ、豊かな精神生活を持った人。
  物質的には富んでいても、貧弱な精神生活しか持たぬ人。
  物質的には貧しくても、豊かな精神生活を持った人。
  物質的に貧しいうえに、貧弱な精神生活しか持たぬ人。
 この四タイプの人に分けられるそうです。 豊かな精神生活の人は、物質的にも恵まれて行き、貧弱な精神生活の人は、今は富んでいても、物資的にも精神的にも貧弱な生活になっていくこと間違いなしというのです。
 物質・品物は、よく見えるものです。良く見えるものを追いかけ、そのために努力している自分がいます。
 今の精神生活で、心配はないでしょうか?

 (写真は沖縄)
2013年03月27日
 小野町立夏井おおすぎ保育園、卒園式に来賓として出席してきました。
  そつえん おめでとうございます。
 今年の卒園は、男児3人と女児2人の5人の皆さんです。
 園長先生のお話ですと、大変な成長ですね。皆さん、頼もしく見えます。
 式の途中から、男児の一人が、涙が止まりません。それにつられる様に、もう一人の子が涙ぐみます。 担任の先生も、涙、涙、涙声です。 会場のみんな、感極まりました。
 今までにない、素晴らしい卒園式でした。
 感動をありがとうございました。
2013年03月26日
 衣料品店で働く、若い二人の店員さんがいます。 お客さんが手に取り見た衣類を、きれいにたたみ揃いています。
 一人の店員さんは、元のように置いてくれればと不平不満での仕事です。
 もう一人の店員さんは、よくこの店にお出でいただきましたと感謝の気持ちで、同じ仕事をしています。
 二人の行為は同じなのですが、離れて見ていたとしたら、違いが判るような気がしませんか? 好意・好感を持たれる方は、どちらでしょうか?
 心づかいの違いで、二人の運命は、大きく違っていきます。

 写真は沖縄、ガジュマルの木の前で
2013年03月25日
 沖縄の文化の違いを、お酒で楽しむことが出来ました。
 初日のホテルで飲みました泡盛の水割りの美味しいこと。何倍もお代わりしました。
 セミナースタッフの宮里先生(工学博士)には、泡盛の特別講義をお聞きすることが出来ました。先生ご推薦の泡盛も、美味しくいただきました。
 写真の「どなん」は、自分用のお土産です。
  与那国名産ー花酒ー国境の酒60度。
   原材料 米こうじ(タイ国産米)・原料用アルコール
  (アルコール度数が45度をこえる場合は税法上、原料用アルコールとなる。)
 どなんがどんなに美味しいかは、飲んでみなければわかりませんよ!どうぞ、飲みに来てください。 量に限りがありますので、お早めにどうぞ!
 
 
 
2013年03月24日
 11日朝8時、ホテルJALシティ那覇よりタクシーで、首里城を観光しました。
 琉球王国(1406年~1879年)の政治、外交、文化の中心地として威容を誇った首里城。2000年12月世界文化遺産に登録されています。
 『ウケージョー』 開館5分前(8:25)
琉球王朝時代の役人衣装を身につけたスタッフがドラを叩き、『ウケージョー』と発声し、迎えていただきました。
 建物・展示品も目を見張るのですが、城内におられる前結びの帯を締めた男性スタッフの方が素敵なのです。(衣装について、少し質問させていただきました。)
 (昨晩、エイサーを披露してくださった方の中に、魅力的な女性がおりましたが、残念ながらお話しできませんでした。)
 首里城の歴史を見ますと、沖縄戦で焼失し、1992年に復元されたとのことです。
  
2013年03月23日
 10日セミナー終了後の午後、「美ら海水族館」を見学しました。
 最高気温25℃ 夏雲でちょっと曇りましたが、快晴ということで、多くの皆さん半そで姿です。 真夏の感です。
 美ら海水族館は、沖縄の海を深海まで再現しているそうです。深海魚を水槽で飼う苦労話もお聞きしました。大変な努力をされています。
 中でも黒潮の海の水槽は、7,500㎥・25mプール約30杯分に相当する水槽には、体長7.5mのジンベイザメや、エイ類の最大種マンタが圧巻でした。(写真)
 (この写真を撮りましたら、デジカメの電池が無くなりました。)
 陸上にもいろいろな動物がいますが、海の中も不思議な世界ですね!
 どこでどのように相互扶助の関係があるのでしょうか? 魚が食材に見えてしまう私は、どのような存在なのでしょうか?
 
2013年03月22日
 「宿泊式セミナー」を企画運営する、沖縄のスタッフの皆さんの努力には、学ぶことばかりです。
 多分に、出た意見に反対する人がいないのではないでしょうか。次から次に、どんどんプラスして盛り上げていくのだと思います。
 9日、午後4時から、沖縄古典芸能である三線をお聞きしました。6名の研究会の皆さん方も、宿泊研修をしておりまして、その皆さんに、発表していただきました。
 一日の行事が終わった後の懇談会。
オリオンビールに泡盛。美味しいですね!写真は、空手をされているスタッフの方の「瓦割」です。鍛練するということは、自分に力が付くことなのですね。
 10日、セミナーが終わりましての夜。『神宮会館』に移動しまして、夕食懇親会Bをしていただきました。この席で、穂刈講師の傘寿のお祝いを、沖縄の古式にのっとりお祝いしました。地元のエイサーも特別出演してくださり、最後には、皆でエイサー踊りをして堪能しました。
 皆さんの心からのおもてなしに大感激の4泊5日でした。 
 沖縄の皆さん、ありがとうございました。
2013年03月21日
 今回のセミナーのプログラムを見ますと、午前と午後それぞれ50分の講義が2コマで、きつい感じがしません。講義以外に、話し合いの時間・自然散策とゆったりしています。
 9日(土)、12:40~沼野講師によるバイオリン演奏を楽しみました。
沼野講師は、音大を首席で卒業されたそうです。おかげさまで、豊かな時間を過ごしました。
 自分の特技で、皆さんに喜んでいただくことができることは、なんと素晴らしいことでしょう!
 これからの時代、ますます、どんなことでも良いでしょう。
「このことだったら、任せてください。このことだったら、聞いてください。」というものが必要ですね!
2013年03月20日
 9日朝食後、クリーンタイムの時間。
 男性は、二階の窓ふき。 
 女性は、下駄箱の掃除。 スリッパを全部出して、きれいに拭きました。(写真)
 心もきれいになったところで(?)、さて講義です。
2013年03月19日
 8日(金)~10日(日) 会場の名護青少年の家に着きますと、サツキが咲いていました。(写真)
 5人の講師が、各章を担当され、テキストに沿ってお話をしてくださいます。 講師も選ばれた講師なのでしょう! 素晴らしい内容で、引き込まれてお聞きしました。 
 はるばる沖縄まで来て聞くから、分かるということもあるのでしょうか?時間とお金をかけて学ぶ価値に、触れたように思います。
 内容は、自分の人生、生まれてから死ぬまでどのように生きるか?心づかいについてです。
2013年03月18日
 8日(金) 9:20ホテルを出発して、セミナー会場に行く途中、沖縄科学技術大学院大学に案内していただきました。
 「世界最高水準の科学技術の研究・教育」を目指す大学!
5年一貫性の博士課程を置く大学院大学で、教員・学生の半数以上を外国人とし、教育と研究は、全て英語で行われるそうです。
 このような大学もあるんだと、ビックリするばかりです。将来は、ノーベル賞受賞者を出すこと間違いなしと思いました。
 中で学ぶ人も優秀ななら、建物も立派です。
 写真は、谷にかかる長ーい廊下です。 廊下の屋根の上には、4羽の鷲(タカ)が目を光らせています。
 この地域にはたくさんの野鳥がいて、小鳥がガラスに体当たりしないように、天敵の鷹の模型を置いてあるとの説明に、皆感心しました。
2013年03月17日
 今回のセミナー参加者は、総勢90人。
 本土からは、46人(講師を含む)でした。多くの方は、れいたくツアーズの手配で、7日那覇空港につき、沖縄事務所メンバーがお迎えしてくださり、ホテルムーンビーチまで送ってくださいました。
 素晴らしい夕日を眺め、18:30夕食懇親会Aです。
小生は、初めての参加なのですが。約半数の方は以前に参加をしていまして、飛行場に引き続き、再会を喜ぶ大歓迎会となり、ここで、自己紹介となりました。
 写真は、スタッフによる歓迎の歌です。もちろん、沖縄の歌です。
 スタッフとしては15人で、今回の企画運営だそうです。
 地元のオリオンビールと泡盛が、大変おいしいのです。
特に、泡盛の美味しさに酔ってしまいました。
 
2013年03月16日
 那覇空港に到着しますと、『橋本さーん!』と、多くの方に声をかけていただきました。地元スタッフの方と、本土からの参加の方が、出迎えてくれたのです。
 今晩の宿泊先のホテルムーンビーチまでは、スタッフの下地さんの自家用車での送迎にお世話になりました。
 途中、道の駅「かでな」で休憩、 ソフトクリームご馳走様でした。
三階の展望台からは、米軍施設嘉手納飛行場が一望できます。「写真」 とにかく広いです。
 車のナンバープレートで、地元の人・レンタカー・海外の方の運転する車と分かるようになっています。海外の方の車には、注意した方が良いとのことです。この話をしていると、右前方に、米軍施設に向かう車同士の接触事故を目撃しました。
 
2013年03月15日
 写真は、7日、高速バスで東京駅に向かう途中です。
 普通は、目に留まらないプレートですね。事故渋滞の為に、高速道路上り線が動きません。
 いわき6時出発。東京駅9時半着予定のバスが、東京駅に着いたのが、80分遅れの11時少し前の時間でした。
 羽田空港11時55分発那覇行きの飛行機に、何としても乗りたくて、羽田に向かって進みました。 東京駅5番線に上がりましたなら、山手線浜松町行が待っていてくれました。乗るとすぐに出発です。浜松町では、羽田行きの東京モノレールが、これまた待っていてくれて乗るとすぐに出発してくれました。
 羽田の搭乗手続きの所に行きましたところ、『もう、締め切りました。』と言うのです。まだ11時50分になっていませんので、『何とか乗りたいんです。』と懇願しましたところ、JALの係の方を呼んでくださり、速に手荷物検査して、何とか乗ることが出来ました。
  門限破りをしてしまいました。
 12時10分離陸。15分遅れて飛び立つことが出来たのですが、おなかペコぺコのフライトです。
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