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見えないものを見る 357. 「人生の錯覚 7.」
2014年08月19日
「自分が変われば相手が変わる」
この言葉ですが、変わって欲しい相手がいるときに、自分がどう変われば良いかを考えていたように思います。 変わって欲しい相手のために、自分が変わるということは、どうも間違っていたようです。
道徳は、相手が変わることを期待して実行するものではないということです。
自分の心づかい、考え方、物事の受け止め方が変われば、たとえ相手が変わらなくても、こちらの受け止め方が変わってきたことで、これまでのように相手を責めたり、自分で悩んだり迷ったりするする心が薄れてくるわけです。だから、相手が変わらなくてもいいんです。そして、相手に求める心、相手を打つ心が薄くなった分だけ、実はおのずと相手への感化力が生まれてきて、その感化力によって相手が変わっていくわけです。単に「自分が変われば相手が変わる」というだけでは、人間の欲が内在していることになってしまいます。
(モラロジー生涯学習資料№04 p108~109)
この言葉ですが、変わって欲しい相手がいるときに、自分がどう変われば良いかを考えていたように思います。 変わって欲しい相手のために、自分が変わるということは、どうも間違っていたようです。
道徳は、相手が変わることを期待して実行するものではないということです。
自分の心づかい、考え方、物事の受け止め方が変われば、たとえ相手が変わらなくても、こちらの受け止め方が変わってきたことで、これまでのように相手を責めたり、自分で悩んだり迷ったりするする心が薄れてくるわけです。だから、相手が変わらなくてもいいんです。そして、相手に求める心、相手を打つ心が薄くなった分だけ、実はおのずと相手への感化力が生まれてきて、その感化力によって相手が変わっていくわけです。単に「自分が変われば相手が変わる」というだけでは、人間の欲が内在していることになってしまいます。
(モラロジー生涯学習資料№04 p108~109)