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栗
2009年09月18日
私の妹が、栗を茹でて持って来てくれました。 (写真)
妹は、同じ町内・同じ行政区、矢大臣山のふもとで農業をしています。
町中を、JR磐越東線が走っているのですが、開通は、大正時代の初めです。 その時に矢大臣山から、栗の大木が切り出され、線路の枕木になったそうです。
それまでは、山は原生林であったようです。
山のふもとのあちこちの畑からは、縄文土器のかけらが出ますので、特に縄文時代のころは、栗の実は大切な食料であったと思います。 実は私は、ご飯の代わりに栗でも良いほど栗が大好きで、縄文時代に生きてみたいと思うほどです。
妹は、同じ町内・同じ行政区、矢大臣山のふもとで農業をしています。
町中を、JR磐越東線が走っているのですが、開通は、大正時代の初めです。 その時に矢大臣山から、栗の大木が切り出され、線路の枕木になったそうです。
それまでは、山は原生林であったようです。
山のふもとのあちこちの畑からは、縄文土器のかけらが出ますので、特に縄文時代のころは、栗の実は大切な食料であったと思います。 実は私は、ご飯の代わりに栗でも良いほど栗が大好きで、縄文時代に生きてみたいと思うほどです。